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分解しても無くならない

昨日テレビ朝日で「エコ甲子園」という番組を放送していた。
後半を見ただけなので詳しくは分らないが、エコに取り組む学校の活動を紹介するものらしい。

色々と工夫している高校生の姿は微笑ましかったが、番組を作る側の知識レベルにかなり疑問を感じた。伝える側がいい加減だと、彼らが折角努力しているものが、正確に伝わらないだろう。その上、不適切な場所に情緒的解釈を織り交ぜるクセは何とかならないのだろうか?

一番気になったのは「分解」という言葉。

釧路湿原に流れ込む畜産由来の屎尿が湿原の水を富栄養化し、本来そこに生えない植物が繁茂した結果、湿原の面積がどんどん狭くなっているらしい。それを微生物の力で何とか解決したいという話だ。生徒達は、その微生物が好んで棲む(らしい)植物を探し、増殖した苗を湿原に植えることで水質浄化が出来ないかというチャレンジとのこと。

たしか番組では、その微生物が屎尿の「有機物を分解する」ので水が浄化されると説明していた。

この「分解する」というのがくせ者で、一般的には「分解する = 無くなってしまう」と捉えられているような気がする。例えば、ダイエット関係だと「ウーロン茶が脂肪を分解して云々」などと使われる。分解されて無くなってしまうので、油っぽいものを食べても大丈夫と理解されているのだろう。番組でも、分解されたものがどうなって行くのかの説明は全く無かった。取材側は、分解された=無くなってしまった、と考えたに違いない。

高校生達が探していたのは、おそらく「脱窒菌」だと思う。屎尿由来の窒素化合物を嫌気条件下で気体窒素(窒素ガス)にする微生物だ。植物と共生(?)するかどうかは知らないし、かなり高濃度で流れ込む窒素化合物を脱窒菌がどこまで気化するかは疑問だが、いずれにしても窒素が無くなったわけでは無い。リン酸の方はそのままだし。

炭で河川の水が透明になったので「綺麗になった」と言っていたコーナーもあったが、透明になったら良いというものでも無いし、炭は何でもかんでも吸着する魔法の物質では無い。生徒達はそのあたりのメカニズムを理解していると思われるが、とにかく取材する側に理解力というか、それ以前の知識が無い。目に見えなくなれば、微生物が分解すれば、都合の悪いものが消えてなくなると思っているのが驚きだ。話は逸れるが、河川に菌の培養液(要するに腐った有機物液)を大量投入して浄化しようという訳の分らない話があったっけ。

まあ、植物は自分が必要な元素を自分で作り出すと言う人がいるくらいだから、物質が消えて無くなったところで別に驚くに値しないのか?
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花好きおじさんの園芸と植物に関するあれこれ。
たまに作り話もあるので要注意。

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